〜SNSと快進撃〜
私が起業を決意した理由には、実はもう一つ、大きな存在がありました。
それは、「娘」です。
サラリーマン時代、私の帰宅はいつも深夜でした。 生まれたばかりの娘と顔を合わせられる時間は、ほんのわずか。
ある朝、仕事に出かけようと玄関に向かった私に、娘が小さな手を振りながら言いました。
「おじちゃん、また来てね〜!」
……あの時のショックは、今でも忘れません。
父の死後、私はがむしゃらに朝から晩まで働きました。 ただ、自宅での作業がメインになったことで、娘と一緒にいられる時間は格段に増えました。
忙しい合間を縫っての保育園の送り迎えや、行事への参加。 周りからは大変に見えたかもしれませんが、私にとっては面倒どころか、ただただ愛おしく、幸せな時間でした。

そして、毎日コツコツと地道な作業を繰り返していると、奇跡が起き始めます。
ホームページへの集客が、みるみるうちに「爆増」していったのです。
それに伴って、収益も右肩上がりに急上昇。 気づけば、サラリーマン時代の月収をあっさりと超えていました。
それでも私は満足せず、貪欲に学び続けました。 目についたセミナーや勉強会には、片っ端から足を運びました。
そんな中で出会ったのが、地元のシステム開発企業を経営するM社長でした。 とても気さくな方で、よく飲みに誘っていただきました。このM社長に紹介された「起業家養成講座」というセミナーが、私の運命を大きく変えることになります。
その講座の塾長を務めるOさんは、世界的に権威のある起業家表彰『アントレプレナー・オブ・ザ・イヤー(EOY)スタートアップ部門優秀賞』を受賞したこともある、業界では知らない人のいない名経営者でした。

そこでビジネスの本質を叩き込まれるうちに、私の中で意識改革が起こりました。
「一介のアフィリエイターで終わるのではなく、きちんと事業を成してみたい」
ちょうどその頃、周囲からホームページ制作の依頼も増えていたため、私はこれを主軸に本格的な事業展開へと舵を切ることを決意しました。
講座を卒業してからも、仲間たちとの熱い繋がりは途切れませんでした。 OBを中心に「ビッグバレー」という異業種交流会を開催し、夜な夜な懇親を深めました。
この会が、とにかく凄かった。 回を重ねるごとに噂が噂を呼び、多くの経営者、起業を志す若者、さらには地元の議員や市長までが参加する大盛況の会へとバケたのです。
それはまさに、かつて東京・渋谷で起きたITムーブメント「ビットバレー」の熱気を、そのまま八戸に持ってきたかのようなエネルギーでした。

当時はちょうどFacebookの隆盛期。 名刺交換だけで終わらせず、SNS上で個人の繋がりを深めることで、私という人間や事業をダイレクトに知ってもらうことができました。これが信頼を生み、次から次へと大きな仕事へと結びついていったのです。
そんなある日、知り合いから「隣の事務所が空いてるよ」と声をかけられました。 覗いてみると、これが驚くほど広い。
「ここを放っておく手はない」
すぐに仲間たちに声をかけ、賛同してくれた2人と共に、当時この地域ではまだ珍しかったオフィスシェアをスタートさせました。 その拠点を、『トライポッドスタジオ』と名付けました。
積極的なSNS発信と、「オフィスシェア」という目新しさが話題を呼び、スタジオには連日、面白い人々がひっきりなしに訪れるようになりました。
次に私が目をつけたのは、「動画配信」でした。
当時、アメリカで『Ustream』というライブ配信ツールが流行り始めていました。 「これは絶対にくる」と確信し、トライポッドスタジオ内に専用の配信ブースを設置。自社番組を作り、生配信を始めました。

これがまた、地方では信じられないほどの特大ヒット。 地元のラジオ局とコラボが決まり、大型イベントのライブ配信案件を次々と受注。多くのメディアにもおもしろがって取り上げられ、私たちの知名度は爆発的に跳ね上がっていきました。
プライベートでも、大好きなフットサルのチームを立ち上げました。 これもSNSで活動を発信していると、面白いようにメンバーが集まり、気づけば市内最大規模のモンスターチームになっていました。
仕事も、遊びも、すべてが最高潮。
――そんな中、2011年3月11日。東日本大震災が起こりました。
八戸も大きな打撃を受け、地元の経済は完全にストップ。 しかし、その暗闇の渦中においても、SNSは単なる連絡ツールを超えた「命綱」としての真価を発揮してくれました。動画配信も、テレビニュースでは拾いきれない地域のリアルな現状や、本当に必要な支援情報を届けるために大いに役立ったのです。
振り返ると、私は常にSNSと共に成長し、SNSに助けられてきました。 そして、デジタルを通じた繋がりに、新しい時代の可能性を確信していました。
震災の爪痕が残る中、私の目に留まったのが「クラウドファンディング」という新潮流です。 アメリカから上陸したばかりのこの仕組みは、寄付文化の薄い日本でも、「助け合い」や「絆」という言葉と共に、震災復興の現場で急速に広がっていました。
その時、私の脳裏に一つのアイデアが閃きました。
「動画」×「クラウドファンディング」で、地元のスポーツ団体を支援するサイトを作ったらどうだろう?
私はこのビジネスプランを、青森県が主催する『あおもりベンチャー大賞』へぶつけました。
結果は、まさかの最優秀賞を受賞。

ここから、人生の時計の針がさらに倍速で回り始めます。
メディア各社に一斉に取り上げられ、あらゆる方面からオファーが殺到。助成金や補助金を受けながら、一気に事業化への道を突き進むことになりました。 すべてが未経験の領域。戸惑いながらも、狂ったようにがむしゃらに突っ走る毎日。
完全に時代の波に乗った。誰もがそう思いました。
しかし。 登りつめた絶頂の、すぐ目と鼻の先に――。
まさか、人生最大の「巨大な挫折」が手ぐすね引いて待っていようとは、当時の私は夢にも思っていなかったのです。
[続く]