【創業20周年記念】カスタネット創業からの裏話 2013年〜2015年

「悪夢」の始まり

当時は、スマートフォンが急速に普及し始め、世の中の仕組みが大きく変わりつつある頃でした。 中でもSNS、特に動画はGoogleがYouTubeを買収して以降、とてつもない勢いで世界中に広がっていきました。 この大きな流れの中で、私は「自社番組を持つことが大きな武器になる」と確信し、地元経営者のインタビュー番組、地域で頑張る人や団体への密着取材、スポーツ番組など、複数のチャンネルを立ち上げて配信を開始しました。

サッカー番組配信

事業は多忙を極め、私は大きな決断をしました。それが「雇用」です。 しかし、人を雇うということは、想像以上の手間と資金が必要であることを痛感しました。 父の借金を返し終えたばかりで、手元には全く資金がありません。 申請していた助成金がどうにか通ったので、それを頼りに雇用の手続きを始めました。 慣れない書類作成や複雑な手続きに奔走しながら、どうにか雇用の準備が整うと、次は資金繰りの壁が立ちはだかりました。

助成金も補助金も、基本的には自己資金で支払った後の入金となります。手元に資金がなければ、何も始まりません。 初めての事業資金の借り入れに、不安は尽きませんでした。周囲の知人に話を聞き、信用金庫を利用することに決めました。 今思えば、政策金融公庫に相談すればよかったのですが、何も知らないその頃の自分には、判断のしようがありませんでした。

まずは、自宅近くの信用金庫へ相談に赴きました。 ありがたいことに、県の創業サポートの方が、ベンチャー大賞の受賞以降ずっと相談に乗ってくれており、この時も同行してくれました。 信金の担当者にこれまでの経を経を説明すると、賞の受賞実績やメディアでの反響が評価されたのか、借り入れが可能な方向へ話が進みました。 何度か行き来しながら必要書類を提出し、審査結果を待ちました。

創業融資

審査の結果は、200万円の借入はOK、残りの100万円は支店長の信用貸付とのこと。そして、その100万円には保証人を立ててください、という条件でした。 当時の自分にとっては大きな借り入れでしたが、今振り返ると、300万円程度の借入で保証人を求められるというのは、相当信用が低かったのだと思います。 しかし、父の「保証人」として大きな借金を背負った私にとって、これは非常に受け入れがたい提案でした。

ずっと悩み続ける私に、担当者は「今、オフィスをシェアしている仲間なら、大丈夫でしょう!」と声をかけました。 「……はい」 迷いながらも、私はそう返事をしてしまいました。 これが、悪夢の始まりでした。

それから数週間後、私はオフィスからの退去を命じられました。 保証人の件だけでなく、様々なすれ違いが重なり、仲間たちとの関係は完全に断絶しました。 今振り返っても、なぜあそこまで関係が悪化したのか不思議なほどですが、根本にはコミュニケーションの欠如があったのだと思います。私は周囲から信用されるだけの、信頼関係を築けていなかったのです。

事務所を追い出される

絶望が、私の心に広がっていました。 事務所を失い、二人の雇用も白紙。パソコンも撮影機材もなくなり、進行していた仕事のいくつかも頓挫しました。 家にも居場所がなく、事業を諦めようとすら考えました。ただ一人、家の中で、迷惑をかけてしまった方々へ宛てたお詫びの手紙をしたためる日々が続きました。

朝起きるのも、家から出るのも苦痛でしたが、関係各所への謝罪行脚を始めました。 すると、多くの方々が私を叱るどころか、手を差し伸べてくれたのです。 パソコンを貸してくれたり、撮影機材を提供してくれたり、仕事を回してくれたり……。 少しずつ、少しずつ仕事を再開していく中で、私の気力は徐々に回復していきました。 事務所も、知人が格安で貸してくれました。 これにより雇用が可能となり、事業化への道を再びゼロから歩み始めました。

パソコンを貸してくれる社長さん

あのようなどん底の経験は、二度としたくはありません。しかし、人のありがたみや、事業を行うことの覚悟など、私の人生観を大きく変える貴重な体験となりました。

そして、これまで断り続けてきた経営者団体にも加入することを決めました。それが「倫理法人会」と「中小企業家同友会」です。 助けてくれた方々への恩返しの思いと、何としてでも経営を立て直したいという、藁をも掴む思いからの入会でした。

そこでの多くの学びと出会いが、私の経営に対する考え方を根本から変える、大きな転機となったのです。

【続く】

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