今年はカスタネットを創業してから20周年の年になります。ありがたいことに先日、商工会議所さんの広報誌でも表紙にしてもらい特集してもらいました。


そこでインタビューを受けているうちに色々と思い出すことがあって、まだまだ話し足りなかったので書き認めておこうと思いました。20年のカスタネットの記録としてこのブログに残します。
〜創業までの難関〜
創業したのは2006年の6月。 きっかけは、父の借金でした。
その頃、青森市で会社勤めをしていた私の元に、父から何度も電話がかかってきていました。内容はすべて、お金の無心。経営している喫茶店がうまくいかず、多額の借金を抱えているようでした。
度重なる送金で、ついに私の生活費まで底をつきました。
「どうにかしなければ……」

このままでは父は倒産し、破産する。私と家族の生活もままならない未来が待っている。 子どもは生まれたばかりで可愛い盛りです。小さな娘を抱っこしながら、一人で悩み抜く日々が続きました。
そこで思いついたのが、「ブライダル撮影」の事業でした。
当時の私の趣味は、娘の動画作り。毎晩パソコンに向かっては、撮影した映像を編集するのが日課でした。パソコンもソフトも劇的に進化しているのを肌で感じていたため、「最初の設備投資だけで高収益が見込める」と考えたのです。
何より、昔から絵を描いたり物語を作ったりするのが得意だった私。 「きっと他社よりも優れた動画が作れる」という根拠のない自信もありました。
まずは色々な式場やホテルに出向き、結婚式を挙げたい客を装って料金をリサーチ。さらに電気屋へ行ってカメラやパソコンの金額を調べ、レポート用紙にビジネスプランを書き上げました。
このプレゼンの相手は、銀行ではなく「妻」です。 まず妻を説得しないと先には進めません。しかし、この門は想像以上に強固でした。
「起業したい」と言うなり、返ってきたのは「はぁ!?」という顔。 プレゼンなんて聞く気すらありません。 「あなたにできるわけないでしょ!」の一点張りです。

子どもも生まれたばかりなのに、なぜそんな危険な道を選ぼうとするのか。妻からすれば、夫がとち狂ったように思えたのでしょう。
固く閉ざされた門は、ビクともしませんでした。 そこから2ヶ月間、一言も口をきいてもらえない冷戦状態が続きました。
――諦めました。 正確には、真っ向勝負を諦め、「副業」をすることにしたのです。
書店で副業の本を読み漁り、たどり着いたのが「アフィリエイト」でした。 人が集まるホームページを作り、そこに広告を掲載して収益を得る仕組みです。(のちの「ブロガー」や「ユーチューバー」の先駆けですね)
「仕事で使うから」と安いノートパソコンを購入し、ホームページ制作の書籍を頼りに独学を開始。当時はキーボードも満足に叩けず、人差し指でポチポチと押すレベル。何ヶ月もかかって、ようやく最初のホームページが完成しました。
テーマは、当時ブームだった「健康食品」。 トップに人のイラストをドンと出し、体の悩みの場所をクリックすると、そこに効く健康食品の一覧が表示されるサイトです。当時は文字だらけのサイトばかりだったので、かなり斬新だったと思います。
結果はすぐに出ました。ポツリ、ポツリと売れ始めたのです。 しかし……副業と言うには、あまりにも微々たる金額でした。
「これではダメだ」と再び本屋へ走り、そこで初めて「SEO(検索エンジン最適化)」という言葉を知ります。
検索エンジンの上位に表示されないと、人は来ない。当時はGoogleとYahoo!の2強時代(数年後にはGoogleの1強になりますが)、SEOの手法もまだシンプルなものでした。
サーバー、ドメイン、サイト構造の見直し、メタタグ、タイトル、文章の改修。被リンクを増やすための施策など、必要と思えることは全てやりました。

すると、アクセスが一気に急増。 同じ方法でいくつものサイトを立ち上げると、どれもが面白いようにヒットしていきました。
デザインにもこだわりました。当時は「見た目なんて収益に関係ない」と言われていましたが、凝り性な性格と、訪問者からの信頼を考えて、企業サイト以上のクオリティを目指しました。
毎晩、夜中にコツコツと作業を続け、少しずつ成果を積み上げていく日々。 その進捗を、妻にも小まめに報告しました。今の会社の状況や、父の現状も具に(つぶさに)伝え続け、気がつけば1年が経っていました。
「起業したい。いや、家族が生きていくために、しなければならないんだ。親父の喫茶店を手伝って借金を減らす。その上で、この広告収入も死に物狂いで増やしていく」
もう一度、妻に覚悟を伝えました。

「……分かりました」
ようやく、妻の承諾が得られた瞬間でした。
こうして私は地元の八戸に帰り、父の喫茶店の立て直しと、広告収益事業という「二足のわらじ」を履く生活をスタートさせました。
しかし、それがさらなる苦難の始まりだとは、その時の私は思いもよらなかったのです。
[続く]